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710件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1989-10-13 第116回国会 衆議院 予算委員会 第3号

そこで、ただ世上これも誤解されていることが非常に多いのでありますが、まず一つここに私はたまたま文章を持ってきておりますから、ディズレーリ自由党内閣のときでありますが、一八八三年に成立した法律でありますが、一八八一年に政府が提案をいたしております。そのときにタイムズの社説がございます。その社説によると、「これによって選挙のやり方に革命が起こる。

森清

1976-06-11 第77回国会 衆議院 大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会 第1号

彼が自由党内閣大蔵大臣であったとき、こう言っているのです。「この、ひとを有頂天にさせる富と力との増加は、」途中省きまして、「まったく有産階級のみに限られている」。これが後でもめまして——クラッドストーン自由党員ですから、その大蔵大臣がそういうことを言ったものですから、それを今度はマルクスの資本論に引用するのですね。

竹本孫一

1962-08-28 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第5号

立ち上がれるというよりも、口々の生活をどうするかというような状況であって、時の政府社会党内閣民主党内閣自由党内閣を問わず、援助物資の懇請を続けてきたのでありまして、私はその結果、今日のわれわれの生活や社会が築かれた一つの大きな原因をなすものであって、もうその当時のことはパーになっているのだというような考えには、遺憾ながら現実の上に立つと、なれないのであります。

田中角榮

1962-03-06 第40回国会 衆議院 外務委員会 第8号

一九四九年にアデナウアー政権ができまして、やはり統一されたる政府との間に今までの決算をするという必要があったのではないかと想像されるのでございますが、日本の場合は、党派は違いましても、自由党内閣あるいは社会党内閣自由民主党内閣、それぞれ日本単一政府が続いたわけでございますので、これは、先ほど申し上げたような、スキャッピン一八四四、あるいはまた極東委員会の決定、あるいは日本という国に対するところの

小坂善太郎

1958-07-02 第29回国会 参議院 大蔵委員会 第5号

お前たちは国家公務員として政治の中立を守っていないじゃないかとやられるが、この文章に書いてあることは、これは明らかに政治的な自由党内閣支持ですよ。はっきりしている。しかも私はなはだ納得ができないことは、「無用であるというような意見もきかれるが」という、これは意見じゃないですよ。この間の衆議院選挙の結果どうでしたか。あなた方の取った票は二千万票足らず、わが日本社会党の取った票は一千二百万票です。

栗山良夫

1958-02-27 第28回国会 参議院 商工委員会 第5号

あなたが北海道へ行って堂々と新聞に出し、皆さん方の前で発表し、そういうことが私、明確になったものですから、少くとも自由党内閣で、岸さん以上の実力者である河野さんのお話しであるから、本年度の予算に何らか違った形で出てくるものとこういうように思いましたが、全然そういう予算は、通産大臣からいただいた文書あるいは予算書では見られませんでした。  

阿部竹松

1957-04-20 第26回国会 衆議院 社会労働委員会 第42号

これはわれわれといたしましては議運においてもこの問題をさらに提起いたしたいと思いますけれども、単なる一方的に通知をする、しかも国会において何とか審議をして下さいと言いながら、何らの意思表示もしないうちに、いや、われわれの方でできましたから、さようなら、こういうことでは――今までの扱い方というものは慣例ではありますけれども、これはいわば吉田自由党内閣が絶対多数を誇っておったときの産物であって、こういうことは

多賀谷真稔

1956-08-11 第24回国会 衆議院 大蔵委員会 第47号

その例としましては、政府のやったこの中小企業振興審議会にも出ている通り、私はそろそろそういう時期がきているだろうと思うので、そういう点も一つよろしく勘案して、自由党内閣であっても、新しいブレーンの人々が新しい政策を掲げようと努力している時代でございますから、新しい時代をよく見ていられる大臣のことでございますから、万遺漏はないと思うのでございますけれども、来年度の予算に関しましても、そういう点をよく勘案

石山權作

1956-06-01 第24回国会 衆議院 本会議 第60号

カナダにおいても十五年、三十年と同一政権が過去においてあり、現在のカナダ自由党内閣もすでに十八年続いております。北欧から西欧にかけては、十年、二十年、二十五年にわたり同一政権を持続する国は現在多々あるのであります。しかしながら、何人もこれを永久政権とか独裁政治とは申しません。(拍手)これは、申すまでもなく、民主政治による自由選挙国民多数の支持を得ている政権だからであります。

宮澤胤勇

1956-05-31 第24回国会 衆議院 外務委員会 第54号

なお河北潟干拓の問題でありますが、これは内灘の事件が起らない先に、自由党内閣としては全国の潟を干拓して農地を拡張するという一大方針を立てておった際でありますので、内灘問題の起らない一年前でありますが、大体河北潟干拓しようじやないかということで、地元へ私も参りまして、内灘干拓委員会も県で設立をいたしたようなわけであります。

林屋亀次郎

1956-05-09 第24回国会 衆議院 文教委員会 第36号

また、かつて吉田自由党内閣時代池田特使がニューヨークで、ロバートソン米国務次官と取りかわした、いわゆる池田ロバートソン会談の中で、日本政府日本の再軍備熱を高めるために、教育広報活動を行うことを第一の責務とすると約束した事実は、当時朝日新聞ですっぱ抜かれまして、ずいぶん世論の攻撃を受けたものでございましたけれども、対米従属をモットーとしている自民党内閣になっても、右の密約が死んでしまったなどとはだれしも

平田ヒデ

1956-04-27 第24回国会 衆議院 社会労働委員会 第38号

しかもその当時の世論としては、十億出すか、十五億出すかというような——自由党内閣時代でしたが、いろいろ論議をされて、その委員会の空気の全体から見ると、実際に戦争のために未亡人になられた家庭に貸し付けるんだから、その金は返らなくてもやむを得ないんだ、そのくらいまで極論する議員もあったのです。それを実際に今度実施してみますと、驚くことには、ほとんど百パーセントに近い償還率を示している。

野澤清人

1956-03-27 第24回国会 参議院 内閣委員会 第19号

吉田法晴君 それではその点については、これは前の政府のときですし、だいぶ古い話ですけれども、自由党内閣、吉田内閣の初めと終りの方では、戦力解釈についてだいぶ違って参りましたけれども、防衛については、これは大橋国務大臣のときですが、少くとも国外に出て活動することはないという点だけは明瞭であると存じます。こう答弁されております。大体同様の趣旨考えて差しつかえございませんね。

吉田法晴

1956-03-22 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第26号

特に戦力解釈において、自由党内閣から鳩山内閣に至る過程において何回変遷がありましたか。初めのころは軍隊は持てないと言い、だんだん軍隊が持てると言い、そして戦力とは総合戦力体系を言うのだというふうに発展してきて、今日ではどうかというと、自衛の戦争もできるというように発言した。この大きな飛躍と、それからあなた方御自身が持たれる内心における矛盾とが今日の政治の混迷を来たしておるのです。

受田新吉