1989-10-13 第116回国会 衆議院 予算委員会 第3号
そこで、ただ世上これも誤解されていることが非常に多いのでありますが、まず一つここに私はたまたま文章を持ってきておりますから、ディズレーリ自由党内閣のときでありますが、一八八三年に成立した法律でありますが、一八八一年に政府が提案をいたしております。そのときにタイムズの社説がございます。その社説によると、「これによって選挙のやり方に革命が起こる。
そこで、ただ世上これも誤解されていることが非常に多いのでありますが、まず一つここに私はたまたま文章を持ってきておりますから、ディズレーリ自由党内閣のときでありますが、一八八三年に成立した法律でありますが、一八八一年に政府が提案をいたしております。そのときにタイムズの社説がございます。その社説によると、「これによって選挙のやり方に革命が起こる。
彼が自由党内閣の大蔵大臣であったとき、こう言っているのです。「この、ひとを有頂天にさせる富と力との増加は、」途中省きまして、「まったく有産階級のみに限られている」。これが後でもめまして——クラッドストーンは自由党員ですから、その大蔵大臣がそういうことを言ったものですから、それを今度はマルクスの資本論に引用するのですね。
これはまあ政権の所在でもかわれば簡単に解決するわけでありますが、なかなかいまの自由党内閣のもとにおいてはここまで及ぶということはできがたいと思うのです。それでまあ次善の策のようなことになりますけれども、農安法をまず強力にこれを改正して、ことしの秋のイモでん粉の問題に対処する。
立ち上がれるというよりも、口々の生活をどうするかというような状況であって、時の政府は社会党内閣、民主党内閣、自由党内閣を問わず、援助物資の懇請を続けてきたのでありまして、私はその結果、今日のわれわれの生活や社会が築かれた一つの大きな原因をなすものであって、もうその当時のことはパーになっているのだというような考えには、遺憾ながら現実の上に立つと、なれないのであります。
一九四九年にアデナウアー政権ができまして、やはり統一されたる政府との間に今までの決算をするという必要があったのではないかと想像されるのでございますが、日本の場合は、党派は違いましても、自由党内閣、あるいは社会党内閣、自由民主党内閣、それぞれ日本の単一政府が続いたわけでございますので、これは、先ほど申し上げたような、スキャッピン一八四四、あるいはまた極東委員会の決定、あるいは日本という国に対するところの
お前たちは国家公務員として政治の中立を守っていないじゃないかとやられるが、この文章に書いてあることは、これは明らかに政治的な自由党内閣支持ですよ。はっきりしている。しかも私はなはだ納得ができないことは、「無用であるというような意見もきかれるが」という、これは意見じゃないですよ。この間の衆議院選挙の結果どうでしたか。あなた方の取った票は二千万票足らず、わが日本社会党の取った票は一千二百万票です。
あなたが北海道へ行って堂々と新聞に出し、皆さん方の前で発表し、そういうことが私、明確になったものですから、少くとも自由党内閣で、岸さん以上の実力者である河野さんのお話しであるから、本年度の予算に何らか違った形で出てくるものとこういうように思いましたが、全然そういう予算は、通産大臣からいただいた文書あるいは予算書では見られませんでした。
こういうふうに具体的に物事をお考えになって、そして施策をせられることでなければ、国民は、自由党内閣は一体何を貧乏追放に考えておるのか、こういうことがわからないのではないか、こういうことをお尋ねしておるのであります。この点について重ねて総理の御所見を伺いたいと思うのであります。
これは吉田自由党内閣の問題であり、以来鳩山内閣になり、村上郵政大臣 以来の、あなた三代目の大臣として今日のこの最も憂うべき状態を遺産として田中大臣がこれを受け継がれている。今あなたのお述べになった苦衷はまことに私ども御同情にたえません。
これはわれわれといたしましては議運においてもこの問題をさらに提起いたしたいと思いますけれども、単なる一方的に通知をする、しかも国会において何とか審議をして下さいと言いながら、何らの意思表示もしないうちに、いや、われわれの方でできましたから、さようなら、こういうことでは――今までの扱い方というものは慣例ではありますけれども、これはいわば吉田自由党内閣が絶対多数を誇っておったときの産物であって、こういうことは
その例としましては、政府のやったこの中小企業振興審議会にも出ている通り、私はそろそろそういう時期がきているだろうと思うので、そういう点も一つよろしく勘案して、自由党内閣であっても、新しいブレーンの人々が新しい政策を掲げようと努力している時代でございますから、新しい時代をよく見ていられる大臣のことでございますから、万遺漏はないと思うのでございますけれども、来年度の予算に関しましても、そういう点をよく勘案
カナダにおいても十五年、三十年と同一政権が過去においてあり、現在のカナダ自由党内閣もすでに十八年続いております。北欧から西欧にかけては、十年、二十年、二十五年にわたり同一政権を持続する国は現在多々あるのであります。しかしながら、何人もこれを永久政権とか独裁政治とは申しません。(拍手)これは、申すまでもなく、民主政治による自由選挙で国民多数の支持を得ている政権だからであります。
先ほども述べた通り、そのときは自由党内閣で、自由党本部のだれか、宮澤代議士にでも一緒に行ってもらって、紹介してもらおうと思って行ったところが、留守だった。ところが玄関で、大野先生に出会わしたので、大野先生、紹介して下さいと言って頼んだんです。
なお河北潟の干拓の問題でありますが、これは内灘の事件が起らない先に、自由党内閣としては全国の潟を干拓して農地を拡張するという一大方針を立てておった際でありますので、内灘問題の起らない一年前でありますが、大体河北潟を干拓しようじやないかということで、地元へ私も参りまして、内灘干拓の委員会も県で設立をいたしたようなわけであります。
このことは、わが国においては、自由党内閣当時に、義務教育の一年生の小、中学校の生徒に国語と算数の教科書を無償で与えるという臨時立法が行われ、多少趣旨は違いましたけれども、教科書の無償というものの一歩をそこに作っておったのでございます。
○松浦清一君 ところがこの憲法ができてから今日に至るまでの内閣総理大臣は、吉田茂という人から鳩山一郎いう人に変ってきておりますけれども、前の自由党内閣、今の自由民主党内閣は、やっぱり同じ線の上に立っている内閣だと思うのです。
また、かつて吉田自由党内閣時代、池田特使がニューヨークで、ロバートソン米国務次官と取りかわした、いわゆる池田・ロバートソン会談の中で、日本の政府は日本の再軍備熱を高めるために、教育、広報活動を行うことを第一の責務とすると約束した事実は、当時朝日新聞ですっぱ抜かれまして、ずいぶん世論の攻撃を受けたものでございましたけれども、対米従属をモットーとしている自民党内閣になっても、右の密約が死んでしまったなどとはだれしも
しかもその当時の世論としては、十億出すか、十五億出すかというような——自由党内閣時代でしたが、いろいろ論議をされて、その委員会の空気の全体から見ると、実際に戦争のために未亡人になられた家庭に貸し付けるんだから、その金は返らなくてもやむを得ないんだ、そのくらいまで極論する議員もあったのです。それを実際に今度実施してみますと、驚くことには、ほとんど百パーセントに近い償還率を示している。
○吉田法晴君 それではその点については、これは前の政府のときですし、だいぶ古い話ですけれども、自由党内閣、吉田内閣の初めと終りの方では、戦力の解釈についてだいぶ違って参りましたけれども、防衛については、これは大橋国務大臣のときですが、少くとも国外に出て活動することはないという点だけは明瞭であると存じます。こう答弁されております。大体同様の趣旨と考えて差しつかえございませんね。
特に戦力の解釈において、自由党内閣から鳩山内閣に至る過程において何回変遷がありましたか。初めのころは軍隊は持てないと言い、だんだん軍隊が持てると言い、そして戦力とは総合戦力体系を言うのだというふうに発展してきて、今日ではどうかというと、自衛の戦争もできるというように発言した。この大きな飛躍と、それからあなた方御自身が持たれる内心における矛盾とが今日の政治の混迷を来たしておるのです。